私にとっての音楽【自己紹介】私の中にある音楽
私にとっての音楽
音楽は私にとって、表現そのものだと思っています。
歌は、うまいとか下手とかだけじゃないと思うのです。
その人が発してるエネルギーが音になり波動になって、
人の心に響くようなものではないかと思います。
父が教え込んだ曲
私は、言語を発するのが物凄く早くて2歳児から歌ったりしてらしく(早)
父は、わたしに美空ひばりさんを教えたりして
2歳児に「リンゴ追分」という渋すぎる曲なので、信じられないかと思うのですが
証拠のテープが残ってて聞いたことがあります(笑)
(その後、実家を解体時に捨ててしまったようですが)
初めて人前で歌ったとき
初めて、家族以外の前で歌を披露したのは夏祭りのカラオケ大会だったと思います。
舞台風ステージで、確か兄弟船だったような(笑)THE昭和の風景
そして、学校の勉強で褒められたことのない子供が
歌が上手いと、めちゃくちゃ褒められて歌手になりたいと思う
よくある話ですが夢をみるきっかけって、だいたいこれじゃないですかね。
バンドブーム
私の高校生の時代はヤンキーかバンドマンが流行していまして(笑)
流行ってたっていうのは、言い過ぎかもしれませんが
ビーバップハイスクールとか湘南爆走族などの漫画が流行った時代だと思っていただけたらわかりやすいと思います。
私は、バンドマンのほうでしたが、時代的にブームに沿った服装ではありました(笑)
違う記事で、大好きなバンドブームの話も書いていこうと思ってます。
洋楽との出会い
高校後半から20代にかけては、洋楽に興味を持ちマイケルジャクソンやスティービーワンダーみたいに黒人さんに憧れました。なぜ私は日本人なんだ~って(笑)
それと、映画の天使にラブ・ソングを見て衝撃が走ってからはゴスペルにはまり、
その後は、ホイットニーヒューストンとダイアナロスのアルバムを片っ端から借りては覚えて歌いまくりました。
あの時代の洋楽の曲の入手方法
今の時代は、簡単にネット配信で音楽を聞ける時代なので
海外のアーティストとか邦楽とか関係なく簡単に聞けて凄くいい時代がきましたね。
私は、AmazonMUSICかiTunesで買って聞いています。
あの頃は、テレビでは邦楽がメインだったので
レンタル屋で借りてカセットダビングして名前書くというアナログな方法。
今の若い人は、想像できないでしょうね。スマホもないタブレットもない時代を。
歌詞カードを手書きでノートに写して歌詞を覚えるやり方(笑)
でも、そのやり方が一番好きなんですけどね。
その後の私の音楽活動
20代は、仕事をしながらクラブやレストランで歌わせてもらったり、オーディションも受けたりしたのですが、
20代後半で一度目の結婚したころから歌っていくことを諦めてしまったんです。
いえ、そうじゃなくて生活に埋もれて逃げたのです。夢に蓋をしたわけです。
YOSAKOIと民謡の出会い
30代前半の夏 ほとんど心は死んでいました。
離婚する前だったのですが、毎日生きていても辛い辛い辛いと思うばかり。
そんな時、地元の祭りでYOSAKOIを見たんです2004年夏でした。
わたしは、居ても立っても居られなくなり
すぐに、地元のチームを調べて入会し踊り子になったのです。
そこからYOSAKOIの話は長くなるので端折りますが色々な偶然が重なり
2008年から歌い手として活動を始めたのです。(2018年に引退しました)
1周まわって、お嬢とちえみ
最近は、色々な曲を流し聞きするようになりました。
いい曲、かっこいいアーティスト沢山いますが名前が読めない人が多い(笑)
でも、今どんな音楽が好きかと聞かれたら
一番好きなのは、美空ひばりさんと江利チエミさんなのです。
民謡に触れる機会が増えて、改めて日本の歌が好きになったのです。
それと、私の声や発声方法にはとても合うことを認識したのかもしれません。
これからの活動について
ジャンルに問わずポップなもの、民謡、洋楽、全て自由に歌いたい。
今活動が止まってしまっています、動けないでいます。
しかし、自分のオリジナル曲じゃなくてもカバーでもいい。
また歌い始めようと思います、その時はよろしくお願いいたします
mi-suke